淵神社参拝 ロープウェイ乗り場のある パワースポット神社!

最高のパワースポットである淵神社は、稲佐山のロープウェイ乗り場が境内に併設されています。

福山雅治さんはご存じの方も多いのではないでしょうか?

彼の幼少期に通ったと言われる、宝珠幼稚園が鳥居を登りきった直ぐに、今も現存しています。

稲佐山展望台へ向かわれる時、是非淵神社に立ち寄って参拝することをオススメしたいです。

専用の駐車場も完備されていますので、気兼ねなく訪れることが出来ますよ。

今回は、展望もよくパワースポットと言われる淵神社をご紹介します。

淵神社の由緒

淵神社の背後にそびえる山は宝珠山と言い、その昔、山頂に虚空蔵菩薩と玄武神が祀られていたと言われています。

伝説によるとですが、この地は元神宮寺の支院だったそうで、そこには弁財天の祠が設けられていたとか。

寛永11年(1634年)延命寺の開基龍宣によって、浦上淵村竹の久保に「寶珠山萬福寺」を創建し、弁財天(弁財天社)を祀ったとされています。

開創後は24年間特別な住持を置かず、万治元年(1658年)開祖龍宣の法嗣(弟子)の龍盛が第二代の住持となっています。

宝珠山萬福寺は弁財天を祀っており、寺内には「稲荷社」もあったようなので、典型的な神仏習合の寺院だったようですね。

淵神社は、延命寺の開基である龍宣が宝珠山萬福寺を建立した時、鎮守社として弁財天を祀ったのが始まりになります。

創建以前のこの地は、一度キリシタンによって焼かれ、廃寺になってしまいましたが、再建されたのが寛永11年になります。

しかし、明治元年(1868年)神仏分離令の影響によって、明治維新後「淵神社」と改称されています。

改称後も弁財天は市杵島比売命の本地仏であるため、御祭神を宗像三女神に改め、現在「淵神社」は社号も県社となっています。

また、社格が県社に昇格した後、昭和20年(1945年)8月9日の原爆により本殿は倒壊しましたが、昭和35年(1960年)に再建されました。

淵神社は、稲佐山のふもとにあり、稲佐山ロープウェイ乗り場が隣接されています。

殆どの方が見るだけにとどまり、参拝することが無いのではないでしょうか。

ホンット!もったいないですよ。パワースポットですのに。^^

淵神社は開運招福・縁結びに絶大なご利益があります。

駐車場も完備されているので、稲佐山展望台に向かう前に、参拝することをオススメしたいです。

宝珠幼稚園

一の鳥居から石段を登り、三の鳥居から見下ろした参道。

この高さは未だ低いほうですが、徐々に景色が良くなってきますので、気持ちが良いと言えますね。

石段を登りきると、右手に宝珠幼稚園があり左手にグラウンドがあります。

この宝珠幼稚園は、歌手・俳優・タレントなどで有名な福山雅治さんが、第3期生として卒園されています。

参道を挟んだ向かい側に、園のグラウンドがあり、引退したゴンドラがあります。

幼稚園公式ページに楽しいことがたくさん載っています。

手水舎

手水舎には肥前長崎稲佐山「六十余州名所図会」歌川広重と寶珠山萬福寺「長崎名勝図絵」の二枚が左右に配置されています。

 

  主祭神は宗像三女神

私だけかも知れませんが、淵神社の拝殿前に立つと、開放感と包み込まれるような温かさ、優しさを感じます。

この感覚は、「祀られている神様のお力なのかも」と思えてなりません。

境内は綺麗に整えられていて、空気が澄み切っていると感じます。

主祭神:多紀理毘売命・市杵島比売命・多岐都比売命の宗像三女神

相殿に天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神・菅原大神・金毘羅大神が祀られています。

宗像三女神の一柱である市寸島比売命は、弁財天の本地仏とせれているため祀られています。

市杵島比売命は、水の神・海の神、美しく面倒見の良い神様です。

長崎にも海上(小島)に祀られた市杵島神社がありますしね。

古事記では市寸島比売命、日本書紀では市杵嶋姫命となっており、別名を狭依毘売命(さよりびめのみこと)となっています。

神仏習合思想によって、財福の神、芸能の神、美容の神としても祀られるようになりました。

ご利益には、海運・交通安全はもとより国家鎮護・金運、財運向上・商売繁盛・学業や芸能、縁結びなどがあります。

桑姫社は「縁結びの神様」

桑姫とは、キリシタン大名である大友宗麟(おおともそうりん)の孫娘( 阿西(おにし) )と言われているが、、、諸説ありのようです。

父親は大友義統で、母親は菊姫ですが、桑姫はこの二人の次女と言われていたり、宗麟の娘の阿西御前とも言われています。どちらが本当なのかは分かりません。

菊姫は、宗麟に命じられ洗礼を受け「ジュスタ」という洗礼名を授かり、一緒に受洗した桑姫)は「マキゼンシャ」(別名「マキシマ」)という洗礼名を授りました。

父義統の「文禄の役」の失態により、秀吉の怒りを買って母子は大阪を追放され、大友宗麟の居る長崎に移り隠れ住んだと言われています。

桑姫は、後に尾崎屋敷に迎え入れられ、地元の女性に桑を植えて蚕を飼い、糸の紡ぎ方を教えたり、行儀作法を教えていたと言われています。

寛永4年(1627年)8月7日、桑姫は病死していますが、墓所には桑が植えられ、「桑姫君塚」と呼ばれるようになりました。

石塚が淵神社の境内に移されたのは、明治33年(1900年)に現在地に「桑姫社」として祀られるようになりました。

社殿下の格子越しに石塚を見ることができますよ。^^

また、8月7日は旧暦の七夕ですが、命日でもあることから、「桑姫君」を讃えて文政12年(1829年)に「天女廟碑」が境内に建立され、今でもその事跡を伝えています。とありました。

境内の稲荷神社には他に高木稲荷・宝珠稲荷の社があります。

 

辯才天の祠と十二支神社

拝殿を前に右側から裏手に上がると、辯才天の祠があり、辯才天と大辯才天女の神額が置かれてありました。

少し欠けているのが古を物語っていますね。

手を合わせ、横の道を上がったところの裏に十二支神社があります。

淵神社拝殿の裏手の山側の、小高い場所にある小さい神社が十二支神社です。

6基の社がありますが、1基に2つの干支を合殿して祀ってあります。
(「巳・亥」「辰・戌」「酉・卯」「寅・申」「丑・未」「子・午」)

ぐるりと反対側に回り込むと稲荷神社が現れます。

大石灯籠

元禄6年(1693年)に長崎奉行川口摂津守源左衛門宗恒が寄進したもので、当時の淵神社参道前の海中にあり、船で参拝する人の燈台の役割をしていたようです。

明治37年(1904年)の埋立工事の際、鳥居の横に移設されました。さらに、昭和50年(1975年)に現在地に移されています。

朱色の鳥居

参拝者専用の駐車場側にある鳥居です。

鳥居の近くには、原爆投下により被爆を受けたクスノキの巨木が、北東側の幹を黒く変色させたまま残っており、今も人々を見守っています。

終わりに

淵神社は古より沢山の伝説があると言われているようです。

延命寺、宝珠山萬福寺、弁財天、市寸島比売命、桑姫伝説など調べてみると面白いと思うことがたくさんあります。

私も色々調べていたのですが、一つ一つ調べているうちに脱線してしまって・・・(・・?

参拝するだけでなく、歴史を知ることも楽しいですよね。

パワースポットと言われるに相応しいほど、ご利益も強力かと!

是非、観光のついでにでも良いので、お立ち寄りしてみてください。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

投稿者: @waka.

はじめまして 定年退職を機にブログをはじめましたwakaです。 還暦を迎え仕事を辞めて、これからの自分の人生の ライフスタイルに、自由に楽しみながら、誰かの お役に立てないかとブログを立ち上げました。 全くの素人からのスタートです。 ゆっくり、のんびり、てくてくと歩みたいと 思っております。 訪れた方に感謝致します。