滑石太神宮 社叢に覆われた鎮守の森

鎮守の森として親しまれている「滑石太神宮」は、滑石(なめし)の大園小学校の隣にあります。

太神宮の周辺はこれと言って有名なものは無いかも知れませんが、古くから住民の絆を感じるものがあるような気がする所です。

現在では、土地開発が盛んになったため、随分変貌してしまったようです。

私がこの地に引っ越してきた十数年前、目の前はふる~い団地が立ち並んでいましたが、建て替え?リフォーム?されたみたいで、とても綺麗になっていました。

滑石太神宮は、社叢の樹木に囲まれた小山にあるのですが、散歩のついでに一度だけ立ち寄ったことがあるくらいです。

参拝したかどうか覚えていないので、今回はしっかり参拝し御朱印も授与していただきましたので、ご紹介いたします。

専用駐車場も完備されています。

滑石団地造成記念石碑


滑石太神宮は、滑石小学校の横にある鎮守の森の中にあります。

第一鳥居の横には石碑があります。これも当時は気づかなかったです。

大正3年(1914年)、木造二階建ての直会所の建築と、県道から滑石太神宮社叢までの「茶の木橋」と「中野橋」の架橋を含む参道の建設が、村民総出の工事で完成しています。

その時の記念碑として置かれたものです。

また、1940年(昭和15年)には、紀元2600年記念事業として、社叢内参道の石段敷石舗装工事が村民総出の奉仕作業で行われ1941年(昭和16年)に完成。

滑石太神宮は村民にとって産土神・氏神様なので、滑石村民はいつも総出で、工事や行事などを愛情を持って奉仕してきたのが判りますね。

手水舎の龍のウロコ

最後の鳥居を潜った右手に、手水舎はありますが、そこの龍の首もとにウロコがあります。と言いますか、ウロコに見えてなりません。^^

 

ただの苔の一種にすぎないのかもですが、とても美しく見えます。

個人的には、目に見える龍神のようで、好きになってしまいました。

手水舎そのものも綺麗で、祓い清められている感じが伝わってきます。

最初のご挨拶をする時に、じっくり、しっかり見て欲しいです。

 

滑石太神宮の御祭神と由緒

主祭神:天照大御神

滑石の村内安泰と五穀豊穣の産土神として祀られています。

《年間祭典》

節分祭:2月3日 (御火焚・豆撒)

大祓祭:6月30日 (夏越祭)

例大祭:10月10日 (宮日祭)(滑石くんち)

新嘗祭:11月23日(作願成就祭)

 

滑石太神宮の由来

現在地には、その昔万治元年以前までは、日蓮宗信仰の「三十番神」が祀られていた祠がありました。

万治元年(1658年)は、当時の第4代大村藩主純長公の家臣・大村弥五左衛門純茂が、滑石村民と協議し「滑石太神宮」を創建した年となっています。

この時迎え入れられたのが「天照大神」です。

万治3年(1660年)社殿が建立された時、従来の日蓮宗信仰の「三十番神」とともに「天照大御神」が祀られていたため、神仏習合の神社となります。

明治維新後、神仏分離の政策が行われ、明治5年(1872年)に「三十番神」を長与の長昌山法明寺に分祀することになったようです。

それ以降、滑石太神宮は「天照大神」のみを祀る神社となっています。

昭和52年(1977年)4月20日の深夜、拝殿近くより火災が発生し、神殿や拝殿の一切を消失してしまいます。

しかし、年末には神殿や拝殿は再建され、御神体を遷座することができ、わずか1年で「滑石太神宮」は復興しています。

今の社殿は、再建されてから43年が経っていますが、白を基調にした気持ちの良い建物で、境内もとても綺麗に整えられています。

昭和33年(1958年)滑石太神宮は、創建された万治元年から三百周年にあたり、秋の大例祭に「太神宮創建三百年祭」が盛大に行われました。

平成2年(2008年)には、「太神宮創建三百五十周年」を迎えています。

 

火災からの復活竜踊り

昭和52年の火災によって、失われた竜踊りの龍体や楽器・衣装などは3年前に新調したばかりだったそうです。

多くの困難を抱えながら、多方面からの浄財と協力によって、わずか5ヶ月で「滑石龍踊り」は復活することができたようです。

毎年、秋の例大祭「滑石くんち」(10月10日)には、竜踊りの奉納踊りと氏子宅への庭先廻りがなされています。

竜踊りに使用される龍体は社殿の右隣に展示されており、立派で美しいものでした。外からも見られるようにガラス張りになっています。

 

市指定天然記念物「滑石太神宮社叢」

 

昭和45年7月18日指定

鎮守の森として親しまれている太神宮には、社叢が広がり様々な樹木が癒しを与えてくれます。

一の鳥居を入って直ぐの右手に、社叢についての説明板があります。そこには次のような内容が記されていました。

この神社は、もと大村藩領滑石村の氏神として万次3年(1660)に創建されてモノで、由緒も深い。社叢は、小高い丘の広い範囲を覆い、社殿を中心に周囲に広がる。社叢を形成する樹木は、いわゆる照葉樹林で、高木のクスノキ・スダジイ・ツブラジイ・タブノキ・カゴノキ・イヌマキ・ラカンマキ・ヒゼンモチ・ホルトノキ・アラカシ、低木のヒサカキ・ハクサンボク・ヤブツバキ・カクレミノ・マサキなどが多い。なかでもマキ・シイ・クスノキは数も多く、大木も少なくない。

美しい社叢で、風致上また学術上にも価値が高い。

上記は全文です。

樹木に覆われた参道は、日中でも少し薄暗く感じる所もありますが、十数年前に訪れたときよりも、明るく感じ心穏やかになれる参道でした。

社叢内参道の石段敷石は、昭和16年(1941年)に村民総出の奉仕作業で舗装工事が完成したそうです。

上りやすい階段だと思いました。^^

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おわりに

今回滑石太神宮を参拝する事になった理由には、ず~っと!頭の中にイメージとして残っているものがあって、それが事実かどうなのか確認したかった。

しかし、はじめて訪れてときは既に現在の再建された神社で、木造建築の二階建てはなく、境内の地面も土丸出しもなかったのです。

本当に、昔からある古い神社はそこにはありませんでした。

私は確かに鳥居を潜り、生い茂った樹木に囲まれた参道を登ったのですが・・・あの時、違う次元へ行っていたのかも知れないと思えてなりません。

実際に、滑石太神宮へ参拝して、宮司さんにお話を聞いても納得が行かない気持ちはありました。

ただ、上記にも書きました昭和52年の出来事は事実であるため、木造建築の社殿があるはずもなく、事実を受け入れるしかありません。

嫌な気持ちは少しもないので、不思議体験の一つとして心に留めておきたいと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

投稿者: @waka.

はじめまして 定年退職を機にブログをはじめましたwakaです。 還暦を迎え仕事を辞めて、これからの自分の人生の ライフスタイルに、自由に楽しみながら、誰かの お役に立てないかとブログを立ち上げました。 全くの素人からのスタートです。 ゆっくり、のんびり、てくてくと歩みたいと 思っております。 訪れた方に感謝致します。